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​風の吹き抜ける丘の上

港公園の展望台。
夜の8時を過ぎると、仕事帰りのカップルが、少しずつ集まってくる。
高速道路を走る車のライトは、街が作り出す明かりとは異なって、光のラインが作り出す不定形なイルミネーションとなって、見るものを楽しませてくれる。
わたしは、あなたの腕にぶら下がるようにして、この展望台から景色を見ていた時のことを思い出す。
もう、1年も前のことなのに、あなたの手の温もりをハッキリと思い出すことが出来る。



待ち合わせには、いつも、わたしが遅れ行った。
ああ、違う違う。
最初のときは、あなたが遅れて来たんだよね。
車が渋滞して、途中で何回も『ゴメン』って電話が入ってさ。
でも、わたしの携帯のバッテリーが切れちゃったんだよね。
でさ、途中から電話が繋がらなくなっちゃって。
待ち合わせ場所に来たとき、あなたの顔、真っ青だったもん。
「怒って帰っちゃったかと思った」だって。
そんなハズないのにさ……だって、あなた十五分しか遅れてないんだよ。
でも、それからあなたは、いつも待ち合わせに早く来てくれたんだよね。
わたしが、遅れても絶対に怒ったりしなかった。
「今日も、来てくれてよかった」って……。
わたしも、あなたに逢える日は、すべてを投げ打ってでも、時間を作るようにしていたんだ。



そう、最初のデートは遊園地だったね。ちょうど、港公園の近くにあったんだよね。
先に食事をしようっていったのに、あなた、緊張して喉を通らないって。
おかしかったなぁ。水ばっかり、飲んでいるんだもん。
普段、あんなに楽しく笑わせてくれていたのに、全然、いつもと違うんだもん。
毎日、あなたの職場に行っていたでしょ。時間にしたら十分程度なのにさ、絶対、笑わせてくれたよね。
ゲラゲラ笑っちゃうときも、微笑むときもあったけど……。あなたが出張でいない日は、寂しかったもん。
そうだね、その時に、ドサクサに紛れて「お茶しよ」とか、「デートしよ」とか、ずっと、言い続けてくれたんだよね。
わたし、色々な会社を回る仕事だったでしょ。だから、同じように声を掛けてくる人、いっぱいいたけどさ。あなただけは、特別……でもないな、最初は、聞き流していたもん。
なんでだろ、なんかのきっかけで、「Yes」って答えちゃったんだよね。

あぁ、そうだ……あなたの、必殺ウンチク攻撃だよ。自分でも、雑学帝王って言っていたよね。
それで……そうそう、お金が合わないときの、チェック方法だって。
あはは、わたし、ちゃんと覚えているよ。
あなたはね、いつもの口調でいったんだよ。
『伝票をチェックしていると、答えが合わないときってあるでしょ。大抵は、入力ミスなんだけど、それを見つけるのが大変だったりするじゃん。で、そんなときは、パソコンに入力した答えと電卓で計算した答えを引き算してみるんだ。で、その答えを九で割ってみる。それが割り切れたら、36を63って具合に、数字を入れ違えちゃった可能性が高いんだよ』
たぶん、こんな感じだったよ。ちょっと、小鼻が膨らんでね……子供が先生に褒められたのを自慢しているみたいでさ。
そう、それで、わたしは、あなたに興味をもったんだ。
たぶんね、この瞬間だったと思う。子供みたいな目をしているあなたに。

携帯の番号を教えてから、どれくらいだったかな。ずっと、電話だけだったよね。もちろん、わたしなりに距離を置くようにしていたし……
あなたが、デートに誘ってくれたきっかけは、わたしの喧嘩だったね。家で喧嘩して、友達の家に駆け込んで、そこから電話したんだ。あなたの声を聴いたら落ち着いてきて……うんん……あなたの途方にくれた声を聴いていたら、なんか、泣き続けるのが悪いような気がしちゃって……。
でも……その電話で、あなたは、家に帰るようにって、強く勧めてくれたんだよね。で、そのご褒美に、遊園地連れて行ってくれるって……。わたし、「ご褒美じゃないじゃん」って、言ったよね。
あなた、困っていたけど、嬉しかったよ。



それからは、がんばって時間を作って……遠くに出かけることはできなかったけど……色々な場所で、デートしたよね。
ほんの少しの時間でも、逢うことができれば待ち合わせをして。
それなのに……。
あなたの誕生日、わたしは、あなたと一緒に過ごすことができなくて。
ゴメンね。
あなたは、笑って許してくれたけど。
でもね、あなたの寂しそうな目が、わたし、なによりも嫌だった。
わたしのせいなのにね。
わたしが、悪いのにね……。

そして、三日後……。
わたしは、あなたとひとつになった。
後悔はしてないよ。流されてもいなかった。
あなたは、誕生日を一緒に過ごせなかったことで、わたしが、負い目を感じているのでは、って気にしていたけど、わたしは、なにかきっかけがあれば、こうなると思っていたし……。嬉しさと戸惑いの中で、涙、出ちゃったけどね。
あなたが、黙って抱きしめてくれたから、これでいいって思ったんだ。



ねぇ、あなた。この公園は変わってないよ。
わたしたちの時計台も、まだ、ちゃんと、ここにあるよ。他の誰にも見えない、二人だけの時計台も。
あなたは、また、笑うのかしら。
街灯を時計台と間違えたんだよね。
でもさ、似てるでしょ。街灯と時計台って。
それに、わたしが時間を聞いたとき、あなたは、その街灯の方を見て時間を教えてくれたんだもん。
わたしたちの時計台は、あのときのまま、ちゃんと時を刻んでいるよ。永遠のふたりだけの時間を……。
あなたは、わたしの勘違いにひとしきり笑った後、不意に真面目な顔をして言ったんだよ。わたし、あなたの表情にドキっとしたもん。だから、今、思い返すと、すごく、クサイ台詞だったけどさ、ジーンと来たんだ。
でも、あなたは、何かを感じていたんだね。あなたの言葉は、今でも、鮮明に覚えている。
「僕たちは、他の人には見えない、時計台を見つけたんだね。この時計台は、ずっと、時を刻んでくれるよ。ふたりだけの永遠に止まらない時間を……」
そう、そして、あなたはこの公園に残る、ある恋の話をしてくれた。



遠い昔の話。この辺りは、まだ、さびれていて、宿場町だけが、小さな賑わいを見せていた頃。その中でも一番大きな宿屋の若旦那さんと出入りの行商の娘が、恋に落ちた話。
若旦那さんも、娘さんも、結婚していたんだよね。それが、偶然が重なり合って、話をするようになって。身分が違うと、ロクに話も出来なかったなんて、今では信じられないけどね。
それでも、二人は言葉を交わすようになって、恋に落ちたんだよね。
お互いに連れ合いとは、うまくいってなくて。旦那さんがこぼす愚痴のひとつひとつを娘さんは真剣に聞いてあげたんだよね。
ふたりは、すこしづつ打ち解けていって。旦那さんが、娘さんが来ることを心待ちにするようになったことで、二人の関係は、周りの知られちゃったんだよね。
ふたりが、海辺で話をしているところに大旦那さんや奥さんが乗り込んできて。
でも……でも、引き裂かれた二人は、それぞれの家に帰り、元の暮らしに戻ったんだよね。
駆け落ちして心中したって終わり方になる、と思ってたんだけど……ふたりは、お互いへの思いを胸に秘めたまま、元の生活に戻ったんだよね。
ホッとしたような、劇的な最後じゃなくてガッカリしたような……。
でも、あなたは、言ったよね。「生きていくって、一番辛い結論だよね」って。
あなたは、「最初は慰めあうだけの関係だったと思う」って言ったよね。それが、本当の気持ちになったから、本当の気持ちだったから「生き続けた」んだよって。
そして 「僕たちはどうなるんだろう?」……って。
わたしは、なにもいえなかった。



同じ公園で、同じ場所で……。
あなたは、もっと他の恋をして、結婚して、自分の家庭を持つこともできたんだよね。
わたしは……わたしには、捨てることが出来なかった……。子供も、今の暮らしも、なにもかも……。
あなたは、言ったよね……。
「でも、許される限り、この時計台の時を刻み続けていきたい」って。

ねぇ、あなた、わたしは、生きているよ……生き続けているから、また、この時計台を見に来ることができるよ。
色々と大変だけどがんばっているよ。
ここに来れば、あなたの思い出にあえるから。
がんばっているよ。あなたに逢いにきているよ。

でも……ずるいよ……あなた……。
あなたの話では、昔のあの二人は、それぞれ、別な場所であっても、生き続けたんでしょ。辛い結論だったかもしれないけど生き続けたんでしょ。
なのに……あなたは……。
たかが、車の事故じゃない。居眠り運転の車に追突されたくらいで、死んじゃうなんて……ずるいよ……。
別れることになったとしても、生き続けるんじゃなかったの……。
ねえ、あなた……。
……あなた……ずるいよ……。
あなた……。





 

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