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日曜日はシンデレラ

風が少し冷たくなってきた。

11月も終わりに近い。
夏の夕陽は、沈んでもなお空を紫色に染めていたのに、秋の夕陽は、すべてを黄金色に染めて周りの目を眩ませると、さっと逃げるように沈んでしまう。

長く伸びた太陽が、波間にオレンジ色の線を残こしている。

とても大きな太陽が、江の島の奥に沈んでいく。

夏が過ぎ、秋も終わろうとしている。

 

第1章 ハトのおしり


「ねぇー。ウーさぁ」
「ん、なによ、エリ」
「今日、マフラーを買いにいくから、付き合ってぇ」
わたしは、マフラーを首に巻く仕草をする。
「うん。いいよぉ。藤沢?」
ウーは、頷きながら答えた。
「ノンノン。鎌倉に行きたいの」
「はぁい。りょーかーい」ウーは、指でOKマークを作る。「ユカは?」
「行くよー」
わたしより早く、教室の後ろにいたユカが返事をする。
ったく、地獄耳なんだから。


わたしはエリ。高校1年生。
んで、鎌倉に行こうって声を掛けたのがウー。裕子って言うんだけど、クラスに3人もユウコがいるもんだから、呼び名が『ユウ』でも『ユウコ』でもなく『ウー』になったの。
そして、教室の後ろにいる地獄耳がユカ。
わたしたち3人は『初麦』の3人娘として、学校では、ちょっと知られた存在になっているんだ。


高校から鎌倉までは江ノ電を使うんだ。
正面に海が見える駅のホームに着くと、あちこちから『あ、初麦みっけ』と声が掛かる。

学校では、初麦の3人娘を見かけると恋が叶う、と言われているんだ。

これは、最近、婚約発表したタレントカップルが、わたしたちが、この夏休みにアルバイトをした海の家『サンセット・ビーチ』名物のオムライスを食べた後プロポーズした、という話がきっかけになっているの。
このオムライスは『恋が叶うオムライス』として、爆発的にヒットしたんだ。
そして、いつのまにかオムライスだけでなく、オムライスを売っていた、わたしたち3人娘まで、縁起がいいと言われるようになっちゃった、ってワケ。

この噂話しに、色々と尾鰭が付いて、最近では、触ってもいいですか?なんて頼まれることもあるんだよ。

わたしたち3人は、普段は自転車通学なので、江ノ電のホームに立つことは少ないんだけど、たまに江ノ電に乗るとこんなふうに声を掛けられるんだ。

ユカは『楽しくていいじゃん』と笑うのだが、ウーはどうも馴染めないみたい。
元々、人見知りする性質なので、こうやって声を掛けられると緊張してしまうらしい。

それにしても、テレビの威力っていうのは凄いもので、テレビに流れた1週間後、わたしたち3人宛てに2通、ユカ宛(黄色い浴衣の女の子と書いてあった)に1通のファンレターが届いたんだよ。
ユカは『5分足らずの出演でファンが1人なら、アイドルデビューして、テレビにいっぱい出たら、あっという間にトップスターだね』と言う。
5分足らずだからボロが出なかったんだ、とは考えないらしい。

学校でも「何様のつもり」とか「いい気になるな」と言われたこともあったが、おおむね好意的に受け取ってもらえているみたいなの。
お笑いトリオ扱いされている、って気もするんだけどね。

「ねぇ。初麦の子だよね。鎌倉に行くの?」
声を掛けてきたのは2年の男子だ。襟に緑色の校章を付けている。
「はーい。そうでぇす」
笑顔で答えるのはユカ。
「お、じゃあ、鎌倉で一緒にお茶しようよ」
男子は、そう言って身を乗り出してくる。
「ごめんなさぁい。私たち、今日はエリのお母さんと駅前で待ち合わせしているんですよぉ。ちょっと、遅れそうで……早く電車が来ないかなって焦っているんです」
ユカは、ニコヤカに返事をした。
「そっか、じゃあさ、また次の機会にさ……」
「あ、電車が来た」
ユカは、そう言うと、男子を振り返りもせず、ホームを移動していく。
わたしとウーは、慌ててその後を追った。

ちなみに、わたしは寮でひとり暮らしをしている。実家が箱根の山の上で旅館を経営しているんだ。
そこからじゃ、とても学校には通えないから寮に入ったんだ。
当然、母親は、年中、山の上。
鎌倉に来ることなんて、ほぼ無理なんだよ。

先ほどの男子が、同じ車両に乗ってこなかったのを確認すると、ユカは「ねぇねぇ、ナンパされたよぉ」と大はしゃぎした。
「なんか、モテモテですねぇ、ユカさん」
エリが、手をマイクの形にしてユカに向ける。
「えっとぉ?たくさんのファンの人に囲まれて、ユカは幸せですぅ」

ユカのモノマネは、誰のマネをしているのかさえわからない。


鎌倉駅前は、いつもごった返している。
江ノ電鎌倉の改札を出て自由通路を抜けると、小町通りの入り口。平日の夕方なのに、あきれるほどの人手だ。
訪れる人の多くは、おば様たちと修学旅行の学生たちだ。
どちらも群れになって、道の真ん中で、あっちだこっちだ、と大騒ぎしているのは変わらない。
違うのは、修学旅行生は手製の地図を持ち、おば様たちはガイドブックを持っていることだ。

「どうする?」
ユカが、ロータリー沿いにあるファストフードのお店を差す。
「ん、せっかくだからねぇ、他を探そうよ」とわたし。
ウーが、呆れた顔で「マフラーを買いに来たんでしょ……」と言う。
どうも、あの夏休み以降、ウーのツッコミが鋭くなっているような気がする。
普段は、ボーッと考え事をしていて、心ここに在らず、って感じなのに。
「おおっ」ユカがわざとらしく、驚きの声を上げる。「鋭い指摘だ」
「まったく、最近、ウーは生意気になってきたんだよね」とわたし。
「生意気ってなによぉ」
ウーが言い返す。
「したっても、言い返してくるじゃん」とユカ。
「べぇーだ」とウーが舌を出す。
負けじとユカも「べぇー」。
そうやって、ユカとウーは、しばし睨み合う。
「べぇー」
遅れてわたしも、舌を出した。
ユカとウーが揃って噴出す。
「ちょっと、それ」とユカ。
「タイミング悪すぎる」とウー。
「だって……混ざりたいなって……」
わたしたちは声を揃えて笑った。
通りすがったおば様たちのグループが怪訝そうにわたしたちを見ている。


結局、わたしたちは甘味処に入った。小町通から一本裏に入ったお店だ。
わたしが葛切り、ユカがクリームあんみつ、ウーは白玉ぜんざいを選んだ。
「こうやって、食べるから太るんだよなぁ」
ユカは、そう言いながら、あんことアイスを混ぜては口に運んでいる。
「じゃあ、私が処理しようか?」
そう言ってユカのアイスに手を伸ばした。
「こらこら」
ユカは、わたしの手から逃れるように器を隠した。
「いいから、よこしなさい」
その時、ウーが、わたしの手元から、葛切りの皿を取り上げた。
「じゃあ、私が葛切りを処理してあげるよ」
「あ」
振り返ったわたしの目の前で、ウーが葛切りを一切れ食べてしまう。
「うわぁ。ウーに取られたぁー」
思わず悲鳴を上げた。
「ほら、お店の人に怒られるよ」
ウーは、口に指を当てる。
「うっ」
思わず口をつぐんだ。
「でも、これも、おいしーねー」
ウーがにっこりと微笑む。
パシッ。
思わずウーの肩を叩いた。


「で、どこでマフラーを買うの」
ユカが訊いてくる。
「うーん、別にどこって決めてないんだよね」
「予算は?」
「ほぼない」
「オッケー、判った」
そいうと、ユカは、小町通りを奥に進む。
(ようするに、見に来ただけなのね)
(そんなことだろうと思ったケドさ)
わたしの前を歩く、ユカとウーのヒソヒソ話しが、聞こえた。
いや、ヒソヒソ話しじゃないな。
聞こえるように話している。
わたしは、わざとらしくソッポを向いた。


小町通を歩いていると、何度も、お店に引き込まれそうになる。
お団子屋さん、コロッケ屋さん、おせんべい屋さん。
ユカは、何度も、お店の前で立ち止まっては、ウーに腕を引っ張られている。

お土産屋さんで、3人お揃いのキーホルダーを買った。
ジャンケンに勝ったら、二つ分の値段で、三つあげるよ、というオジサンの誘いにユカが乗ったんだ。
勝ったユカは鼻高々だったが、わたしたちは、修学旅行で鎌倉に来たわけじゃないんだよ。
とりあえず、亀のキーホルダーを買って、鞄に付けることにした。

牛乳屋さんの角を右に曲がり若宮大路に出た。
鶴ヶ丘八幡宮への参道だ。

「ハトを食べよう。ハト」
ユカがそう言うので、若宮大路を右折した。
鳩の形をしたクッキーが人気のお店だ。
入り口付近には修学旅行の学生服があふれている。
わたしたちは、お金を出し合って6枚入りの小箱を買った。

「ねぇ。ハトって頭から食べる、お尻から食べる?」
ユカが聞いてくる。
「私は、お尻かな」とウー。
「えー、頭からいくでしょー」とわたし。
ユカは「ふぅん、わたしは、小さく割って食べるよ。ほら、育ちがいいからバクなんてかぶりつけないし」と言った。
当然だけど、ウーとわたしはユカを無視。


「とりゃ」
そう掛け声をかけ、ユカが山門前の太鼓橋を駆け上がろうとする。
うまくいけば、3、4歩で駆け上がれる。
ただ、傾斜が急な上に砂っぽいので、ツルツルすべる。
「あっ」
小さな悲鳴とともに、足を滑らせたユカが、生まれたての馬のように四つんばいになってズルズルと滑り落ちた。
その右手には、ハトサブレーの黄色い小箱。

「もう、みっともないんだから」
太鼓橋から滑り落ち、尻餅をついたユカを抱え起こすと、わたしとウーはユカをひきずるようにして、その場から逃げ出した。
(どうしてユカといると、こんなことが多いんだろう?)

「ほら、手、すりむいてない?」
差し出したユカの手には、ぐにゃっと折れた黄色い小箱が握られていた。
「あー、ハト」
ハトサブレの小箱は、ほぼ真ん中で二つに折れていた。
「まったく、あんたはなにやってんのよ」
ユカの手をはたいた。

「あーあ」ウーは、ユカの手から取り上げた箱を開ける。「ね、ね、意外と大丈夫かも」
ハトサブレーは、お腹の辺りでいくつかに折れているが、砕けてはいなかった。
「なんだ、大丈夫じゃない。ほら、お嬢さん向けに小さく割ったと思えば気にならないよ」とユカ。
「ふうん」
わたしは、冷たい視線でユカを見ると「じゃあ、これはユカの分ね」と一番細かく割れている袋を差し出す。
「ええ、じゃんけん……のわけないね」
そういって、ユカは渋々、わたしが差し出した袋を受け取る。
「あっちのベンチで食べよう」
ユカに袋を押し付けるとさっさとベンチに向かった。


「ねぇ、なんか牛乳欲しくない?」とウー。
「だねぇ、ハトには牛乳だよねぇ」とわたし。
揃ってユカを見る。
ユカは、細かく割れたハトサブレを摘んでは、口に運んでいる。
「ね、ユカは、牛乳欲しくない?」
わたしがユカに聞いた。
「うん。欲しい」
「欲しいよね」
「うん。やっぱ、牛乳だよね」
「ペナルティーでユカが買いに行くってのはない?」
「ない」
「ないの?」
「うん。遠いからヤダ」
「買いに行っといで」
「ダメ」
「なんでダメなの」
「食べるのに忙しい。エリが一番細かくなったのを寄こすから、食べるのが大変なの」
「あんたのせいでしょ」
「うん。でも、ヤダ」
「行ってきなよ」
「ヤダ」
「ユーカ」
「ヤーダ」

結局、わたしたちは、鶴ヶ丘八幡宮でお参りをしてから、小町通の角にある牛乳屋さんで、腰に手を当ててフルーツ牛乳を飲み家路についた。
マフラーは見ていない。


「まだ、間に合うかな」とウー。
「間に合うといいね」
これはユカ。
「最近、だんだん、日が落ちるのが早くなっているからね」とわたし。
わたしたちは、口々に言いながら、帰りの江ノ電に乗り込む。
一番前の車両、進行方向の左側。
運転手さんの後ろだ。
たまに鉄道マニアの人に取られちゃうが、できるだけ、この場所に立ちたい。

今日は、無事に定位置を確保できた。
ゴトリという音とともに電車が動き出す。
しばらくは、住宅の間を縫うように電車は走る。
七里ガ浜駅を越えた辺りで、いきなり、目の前に海が開ける。
おっきな夕陽が海に沈んでいく。
遠くに烏帽子岩が見える。
サザンの曲そのままの景色が目の前に展開している。
この景色は何度見ても美しく、言葉を失ってしまう。

夕陽に照らされた波頭が金色に光り揺れている。
今日は少し風が出てるようだ、波がいつもより高い。
その風を受け、ウィンドサーファーたちが帆を揺らしている。
手前の浜辺では学生たちがランニングをしている。
たぶん、ウチの学校のサッカー部かバスケ部だ。
知っている人はいないか、そう思って目を凝らすが、よくわからない。
すべてが逆行の中で、影になっている。

電車が速度を落とし、ホームに滑り込んでいく。
ほんの少しの贅沢な時間が終わってしまう。

 

第2章 暇でさぁ


「うーん」
どうにも暇でしょうがない。
『エリ、日曜なのに暇を持て余してていいの?』
鏡に向かって語りかけ、わたしはひとつため息をついた。

最近、ユカが小唄なんてものを習い始めたんだ。
ウーはドルチェ。
美穂も、冬の大会が近く、土日返上でバスケだ。

ウーはね。ドルチェの悠子さんに赤ちゃんができて、お店に人手が足りない、ってのが分かるから、まぁ、ガンバレって感じ。
美穂は、1年でレギュラーになったらしい……。
これも、ガンバレだ。

それに比べて、ユカの小唄っていうのは……どうも納得できないんだよね。
『なぜに?』
思わず聞いたもん。

でも、まぁ、ユカやウーとは、平日は一緒にいることが多いし、美穂も、寮にいるときは、どちらかの部屋に行ってる。

うん、そういった意味では、孤独な娘じゃないはずなんだよな。
それでも、わたしは、日曜日に暇を持て余している。
ひとり寮の部屋で、ゴロゴロしているのは、結構、疲れるんだ。
恋人でもいたら、楽しいだろうにねぇ。

……というわけで、わたしは、日曜日をどう過ごすか、悩んでいるんだ。
真剣に。

恋人を作ればいいじゃん。
ユカは簡単にそう言うんだけどね。
ま、そりゃそうだ。
言うほど簡単じゃないだけで。。。


でもさぁ、恋人って、どんな感じなんだろう。
中学生の頃までは、男の子の友達と一緒に遊んでいた。
なにせ、山の上に住んでいたから、一回家に帰ってから、遊びに出かけるなんて、ありえなかった。
授業が終わったら、暗くなるまで、校庭で遊んでいた。
サッカーにソフトボール、宿題は、仲の良かったグループで、分担して見せっこした。
男子の中に女子2人だったな。
でも、男子が、エッチな本を見つけて騒いだ時以外、男の子なんだと意識したことはなかったもん。


学校で、ちょっとした有名人になってしまったのは、誤算だった。
校内を歩いていると、『あ、初麦みっけ』と声を掛けられる。
わたしたち『3人娘』はラッキーアイテムなんだそうだ。

不思議なもので、こんな噂が立つと、『本当』に、恋が叶った、なんて話が出てくるんだよね。
男の子に告白しようと思って、ラブレターを持って歩いていたら、偶然、『初麦』が目の前を通って、そうしたら、自分に興味がないと思っていた先輩が、お付き合いをOKしてくれたとか。
んなの、わたしたちには関係ないと思わない?
でも、そんな話が、もっともらしく広まっているんだよね。

最初のうちは、それも楽しいかな、って思っていたんだけどね……色んな意味で、目立つ存在っていうのも楽じゃあなくて……。

この間、偶然、教室で、クラスの男子と2人っきりで話をしていたら、騒ぎ立てられて。。。
こんなんじゃ、本当に好きな男の子ができても、話をすることもできないジャン、って思ったんだよね。

校庭の隅で雲を見ていたら(頭の中はお昼ご飯のことたったと思う)、それだけで『初麦が黄昏れているぅ』って指差されたことともあった……自意識過剰なんだろうけど……色々と煩わしく感じ始めているんだ。

この点、ユカはすごいんだよね。
まったく、臆さない。
不思議だよね。
夏休み前には、体型を気にして、海の家のバイトがあるって言い出せなかったくらいなのにねぇ。
変われば変わるってことなのかな……。
『初麦だ』って、声を掛けられると、笑って手をふっているんだもん。

いや、今は、ユカなんて、どーでもいい。
暇なんだ。
やっぱ、バイト探そう。
学校と関係ないところがいいな。

部屋にこもっているのも、精神衛生上も、よくない。
別にトキメク出会いなんてなくてもいい。
家に引きこもらないようにしないと……ゴロゴロしていたら、余計なお菓子を食べちゃって、太るし、お金はなくなるし、いいことなんてひとつもないんだ。
うん。
そうしよう。


でも、素敵な恋はしてみたいな。

 

第3章 レスポール


レスポールって知ってる?
ギター……エレキギターの一種なんだよ。
わたしも、ギターやバンドに詳しい訳じゃないんだけどね。

なんで、いきなり、レスポールかというと、昼休みにクラスメートの男の子、高橋君がギターを弾いていたから、『何それ?』って聞いたら『レスポール』だって。
瓢箪の肩がえぐれているような形のギターがレスポール。
高橋君のギターは、正確には、レスポールモデルで、本物のレスポールじゃないんだって。
よく判らないんだけど、本物は、ギブソン社が作ったもので、他のメーカーが作るとレスポールモデルになるらしい。

じゃ、本物を買えばいいじゃん、って言ったら、「高くて、買えねぇー」んだってさ。
なるほど。
それは、すごぐよく判る。

「なんか、弾いてよ」って言ったら、ガシャガシャ弾いてくれたんだけど、何を弾いているのか、判らなかったの。
だから、素直に「その曲、知らない」って言ったら、わたしでも知っている、今、メチャメチャ流行っている曲のタイトルを言われたんだ。
もう、一回弾いて貰ったら、確かにそう聴こえなくも……って感じ。
「エフェクターをかまして、アンプを通せば、ちゃんと判るよ」だってさ。
エフェクターって、なによ?
よくわからないから、「ふーん」って答えたんだけど、高橋君はその答えが、許せないらしい。
「土曜日に学校で練習するから見に来いよ」だって。
んなこと、突然、言われてもねぇ。

その時はね、別に興味もないし、わざわざ出掛けて行って、爆音を聞かされて、挙句に高橋君の彼女扱いされてもかなわないから、断るつもりだった。

高橋君だって、本気では誘っていないと思ったし。
場所も時間も言わないんだよ。


話が、変な方向に行きはじめたのは、金曜日の昼休みからなんだ。

隣のクラスの芳美ちゃんが、やって来て「明日、フェーズ2の練習を見に来てくれるんでしょ。わたし、迎えに来るから、一緒にいきましょうね」だって。
あまりにも、いきなり、だったので、わたしの頭は『?』で一杯になったんだ。
人違いじゃないですか?って、よっぽど、聞こうかと思ったよ。
こんな時に限って、ユカもウーも、口を挟まずに聞いているだけなんだよ。

よっぽど、わたしが、キョトンとしていたんだろうね、芳美ちゃんも、さすがに何か変だ、と感じたらしい。
オズオズと「あのぅ、初麦のエリさんですよねぇ?」と尋ねてきた。
「うん。そうだけど……」
「はじめまして、あの、わたし、F組の川崎芳美といいます」
やっぱり、ちゃニ話すのは、はじめてだよね。
「わたし、フェーズ2ってバンドのマネージャーをしているんですけど、ギターのタッキーに、明日の練習に初麦のエリさんが、来るから、案内しろって言われて……」
「タッキーって誰?……もしかして、高橋君のこと?」
わたしの周りでギターを弾くのって、高橋君しかいない。
「あ、はい、そうです」
なるほど、なんとなく、話が、繋がって来た。
高橋君が、タッキーで、バンドが、フェーズ2ってわけだ。
「……あのう……タッキーから、何も聞いていないんですか?」
「聞くも何も……、フェーズ2なんて名前も、初めて聞いたよ。高橋君がタッキーだっていうのも」
「ええぇ?」

この時、なんか面倒なコトに巻き込まれたなって、感じたんだ。

「あのさ、練習を見に行くっていうのも、高橋が一方的に来いよ、って言っただけだから」
わたしの知ったこっちゃない、と暗にほのめかす。
「ええぇ?」
「本気で、誘っているとは、思ってなかったし」
「ええぇ?」

「タッキーは、エリさんが来るから案内しろよな、って言ったのになぁ」
芳美ちゃんは途方に暮れている。
なんか、こっちが、悪いことをしている気分になる。
その時、ちょうど、『タッキー』が、教室に戻って来た。
「タッキー」
芳美ちゃんより早く、わたしは『タッキー』に声を掛けた。
わたしに『タッキー』と声を掛けられて、高橋は、バツの悪そうな顔をする。

「芳美ちゃんが、明日の練習見に行こう、って誘いに来てるんだけど」
突然のわたしの剣幕に、タッキー……じゃない、高橋君は、たじろいでる。
「はぁ?」
「はぁ?、じゃなくてさ……なんで、わたしが、行くことになっているのさ。いきなり、芳美ちゃんを寄越して、見に来い、って、何考えてんの?自惚れてんじゃないわよ」

わたしったら、なんで、いきなり怒ってんだろう。


芳美ちゃんは、突然のことに目を白黒させている。
「そりゃさ、熱狂的なファンだとか、メンバーに好きな人がいる、ってなら判るよ。だけど、わたし、高橋君のバンドのこと、なんにも知らないもん」

一気にまくし立ててから、気がついた。
そっか、この芳美ちゃんは、だから、マネージャーをやっているんだ。
高校生のバンドで、マネージャーって何だろう、って違和感があったんだけど、なんとなく合点がいった。

「いや、あの……」芳美ちゃんが、話に入ってきた。「それは、わたしの言い方が悪かっただけで……」
「芳美ちゃんは、関係ないよ」わたしは切り捨てる。「高橋君は『練習を見に来いよ』としか言わなかったし、わたしの返事だって聞いていない」
「ごめんなさい」
芳美ちゃんが謝る。
「だから、芳美ちゃんは、関係ないって」
なんで、わたしは、こんなにイライラしてるんだ?

高橋君が、乱暴に立ち上がる。
大きな音を立てて椅子が倒れた。
わたしが、まくし立てているのを遠巻きに見ていたユカとウー、クラスメートたちの間に小さな緊張が走った……。

しかし、折よくか、折り悪くか、ちょうど、始業のチャイムが鳴った。
5時限目は、生物の松田先生だ。
チャイムと同時に教室に入ってくる。

「エリさん、ごめんなさい」
言葉を残して芳美ちゃんが、教室を飛び出していく。
高橋君は、椅子を直し、ふて腐れた態度で座り直した。


しかし、なんで、わたしは、腹を立てているのだろう?
『自惚れてんじゃないわよ』なんて言葉、どこから引き出して来たんだ。
もっと、普通に話が、できたはずだ。
高橋君の背中を見ながらわたしは自問していた。

勝手に練習を見に行く、って決め付けられたこと?
芳美ちゃんを通して、誘って来たこと?
じゃあ、高橋君が、自分から誘って来たら、わたしは、練習を見に行った?

ヤキモチ?
誰に?
芳美ちゃん?
そんなことはない……と思う。

ヤキモチを焼くなら、高橋君を好きじゃないと変だよね。
高橋君のことは、嫌いじゃない。
ギターに熱中していることも、知っている。
でも、バンドを組んで、タッキーと呼ばれていたとまでは知らなかった。
席が近いので、たまに話をする。
ようするに、クラスメートのひとりでしかないはずだ。
好きも、嫌いもない……はずだ。

高橋君は、バンドの練習に誘えば、楽しんでくれると思ったんだろう。
それだけなんだと思う。
高橋君の背中は、怒ってるようにも、しょげているようにも、考え込んでいるようにも見える。
わからないな。


5時限目が終わり、放課後になった。
まったく、今の授業は、なにをやっているのか、ちっとも判らなかった。
例によって、ユカやウーと一緒に帰ろうとしたら、教室のドアに芳美ちゃんが、立っている。
わたしを見つけると、小さく頭を下げた。

「ゴメン、先に帰って」
ユカに言うと、わたしは、芳美ちゃんの方に向かった。
振り返ると、ユカとウーが、心配そうにこちらを見ている。
いや、心配そうに、ってのは、言い過ぎか。
なんにでも、口を挟むユカとしては、興味津々だろうな。

芳美ちゃんは、先に立って歩き出した。
階段を昇っていく。屋上に行くつもりらしい。
後から、隠れてユカたちがついて来る。
壁に張り付いたり、柱に隠れたりしているので、余計に目立つ。
わたしは、それを無視することにした。


屋上に着いても、芳美ちゃんは、何も話し出さない。
俯いたり、ため息をついたりしている。
正直、わたしは、気の長い方じゃないので、じれったくてしょうがない。
でも、自分から話し掛ける言葉が見つからないから、じっと芳美ちゃんを見ている。

芳美ちゃんは、背がわたしより、ちょっと小さい。
髪は、くせ毛だろうか、ボリュームがあるものを後ろで束ねている。
目は丸くて、大きい。
ちょっとオドオドした感じで、手を胸の前で合わせている。
全体的に小動物を思わせる雰囲気だ。

……さて、もう、観察することも、ないんだけどな……。

「どうしたの?」
いつまで待っても続きを話そうとしないので、促してみた。
できるだけ、優しい声で。
すると、芳美ちゃんは、顔を上げ、キッとわたしを見た。
まっすぐな視線。
とても、強い意志がこめられた視線だ。

怒られるのか?
わたし……。


「あの……」ようやく、芳美ちゃんが口を開いた。「さっきは、ごめんなさい」
態度とは裏腹に弱々しい言葉だった。
「いや……別に……」
いきなり謝られても……。
「タッキーは、悪気があった訳じゃないんです」
「ああ……うん」
「タッキーは、エリさんが、練習を見に来てくれるって、すごく嬉しそうで……」

俯きがちに喋るから、声が聞き取りにくい。でも、この声の大きさなら、階段の後ろに隠れているユカやウーに聞かれることもないだろう。
「タッキーは、きっとね、エリさんをね……練習だって、ちゃんと誘うつもりだったと思うんです」

やばい、泣くぞ。こういうのは、苦手だ。

「ね、まず、そのエリさん、ってのをやめようよ。同学年なんだから、エリでいいよ」
「あ、はい……エリ……さん」
これじゃ、少女マンガだ。
しかも、わたしが、悪役じゃないか。


「好きなんです」
意を決した芳美ちゃんが、絞り出すように大きな声で言った。

背後のドアの陰から大きな音がした。
きっと、ユカだ。
芳美ちゃんの突然の告白にズッコケたんだ。
今頃、ウーが慌ててユカを抱え起こしているに違いない。

幸い芳美ちゃんに気がついた様子はない。
思い詰めた表情で、わたしを見つめている。
(いや、そんな表情で見つめられても)
百合(そっち)の趣味はないんですけど……。

芳美ちゃんは、わたしの戸惑いに気づいたらしく、少し、慌ててこう言った。
「あ、わたしじゃないです……。あの……タッキーが……」
「は?」
芳美ちゃんの話の展開についていけない。

「タッキーは、エリさんのこと、好きなんです」
ああ、なんだ、そういうこと……。
……え?……なに?
タッキー……タッキーって、高橋君のことだよね……高橋君って、誰?
だから、高橋君は、高橋君だよ……。
好きってなに……
これって、告白?
でも、本人が言ったわけじゃない。
わけが判らない。
あ、ああ。息が苦しい。目が廻る。

出てこなきゃいいのに、ユカが出てきた。
ウーまでついてくる。
ホントにユカって、こういうの好きだよね。


「なんか、判るんですよ。タッキーは、口数は少ないけど、態度に出るから」
芳美ちゃんは、手に持ったカップを見つめている。

わたしたち……ユカ、ウー、芳美ちゃんとわたしは、学食のテーブルを囲んでいた。
陽が沈み、寒くなってきたので、わたしたちは食堂に移動した。
手には、それぞれ、飲物がある。わたし以外の3人は温かい飲み物だ。
わたしは、紙コップのバナナジュース。
学食のバナナジュースは、わたしにとって、お守りの効果があるんだ。

芳美ちゃんは、ユカを相手に話し込んでいる。
「タッキーが、ハッキリとエリさんが好きと言った訳じゃないんです」
「なんだ、そうなの?でも、さっきは、自信満々だったじゃない」
「もう、長いから。わたしたち、幼なじみだし」
「でも、芳美ちゃんの勘違いってことはない?」
「絶対じゃないけど、エリさんて、タッキーのタイプだし……たぶん、間違いないです」
「エリが、タイプだなんて、変わり者なんだね」
もう、勝手に言ってろ。

わたしは、黙って、色々と考えていた。
芳美ちゃんの言うことが本当なのか。
まぁ、嘘でこんな話をしても意味がないけどね。
イタズラにもなっていない。

わたしにとって、高橋君は、斜め前に座っているただのクラスメイトだ。
席が近いから話はするけど、恋愛の対象として見たことはなかった。
それを、いきなり、初めて話をする、幼馴染みの子経由で『好きだ』って知らされて、わたしはどうすればいいのだろう。

これって、わたしには、余計なお世話でしかないよね。
高橋君がわたしを好きなら、高橋君がわたしに言えばいいことだよね。
例え、芳美ちゃんが幼馴染みでも、高橋君の代わりに告白する権利は、芳美ちゃんにはないでしょ。
YESともNOとも答えられない状況で、これから、わたしは、どう対応すればいいの?


そして……ああ、そうか。
こうやって、考えているうちに、わたしはあることに気がついた。
気がついてしまったら、すべてが、どうでも、よくなってしまった。

何に気がついたかって?

なんで、芳美ちゃんは、いきなり、高橋君がわたしを好きだなんて言ったんだろう、って考えていたら、一つの答えに行き着いちゃったんだよね。


「でも、それだけじゃ、判らないよね」
ユカと芳美ちゃんの話を黙って聞いていたウーが、口を挟んだ。
「何が判らないのよぉー」とユカ。
「芳美ちゃんの話しだと、高橋君がエリを好きなのかどうかは、判らないってことよ」
「そうかぁ?そうかなぁ」
ユカは不満げだ。
「それに、芳美ちゃんも、高橋君がエリを、そこまで好きだとは思っていないでしょ」
「ええ、そうなの?」
ユカってば、ワイドショーでも見ている感覚じゃない?
テレビに向かって話してるおばさんみたいだぞ。

「芳美ちゃんの話って、『そう思う』ばっかり。高橋君は、エリが好きだとか、それに近いことを言ったわけじゃないよね」
ウーは、話しながら取っていたメモに目を落とす。
「そして、仮に高橋君が、エリを好きだとしても、芳美ちゃんとしては、高橋君の思いは叶わないで欲しい」
芳美ちゃんは、ハッと顔を上げる。
どうやら、ウーも気がついていたようだ。

「芳美ちゃんは、幼なじみの高橋君が好き。
でも、彼はそんな思いに気がつかず、ギターに夢中。だから、マネージャーになった。
でも、高橋君は、そんな芳美ちゃんの気持ちには気づかなくて。
しかも、最近は、エリのことを話題にするようになって……。
やきもきしていたら、今度は、エリがバンドの練習に来るって言い出して……。
わたしの片思いは終わちゃった、それなら、せめて最後は、マネージャーとしてエリを練習に連れて行こうと……たぶん、断腸の思いで、会いに行った。
それなのに、エリは誘われてなんかいないと言う。
それどころか、高橋君に怒り出した。
わけが判らないけど、事態を収拾しなくちゃ、という責任は感じたんだよね。
それで、エリを屋上に連れて来たはいいけど、何をどうすればいいかわからなくて……。
半ば八つ当たり気味に、前から疑っていたままに、高橋君がエリを好きだと言ってしまった」
ウーは、メモを指でなぞりながら話している。いつの間に、そんな芸当を覚えたんだ?
「どう?」
ウーその台詞は芝居掛かっているぞ。

芳美ちゃんは、ゆっくりと頷いた。
「わたしの思いが通じないなら、いっそ、誰かと付き合って欲しい……それなら、あきらめられるから……。もう、片思いは辛いから……疑ったり、勘繰ったりするのも」
指で涙を拭った。


大筋は、ウーの推理通りだろう。
でも、ピースがひとつ欠けている。
わたしは、芳美ちゃんの顔をまっすぐに見た。
「ねぇ、芳美ちゃん。高橋君は、芳美ちゃんに、わたしを練習に案内しろなんて言っていないよね」
「えっ、そうなの?」
またも、先に反応したのは、ユカだった。
こんな時に、この子はうるさいな、と感じる。
「うん」
芳美ちゃんは、小さく頷いた。

そうだよね、それなら、すべての辻褄が合う。

高橋君は、わたしが、練習を見に来るとは、微塵も思っていなかった。
誘ったのも、話の流れでそう言っただけ。
わたしにとって、高橋君がクラスメイトでしかないように、高橋君にとっても、わたしはクラスメイトでしかなかったんだ。
でも、なんか、改めて認めるのは悔しいけど。
まぁ、しょうがない。

高橋君が、わたしが、練習を見に来る、って話題にしたのは、わたしが、『初麦』のエリだから。
なにしろ、夢が叶う縁起モノだ。
人気バンドになれるかもよ、という程度のことでしかなかった。

わたしが高橋君と仲がいいようだ、ということを芳美ちゃんに話した人がいる。
そして、高橋君が、わたしを練習に誘ったことも。
その子は、芳美ちゃんの仲良しで、芳美ちゃんの気持ちも知っていた。
わたしのことを話すことで、芳美ちゃんをたきつけたかったのかもしれない。
バンドのマネージャーなんかをやっていないで、恋人になって、高橋君にくっついていろと。
しかし、意に反して、芳美ちゃんは、わたしを練習に誘いに来た。
完全に一歩引いて、わたしと高橋君の間を取り持とうとした。
犯人捜しはしなくてもいいだろう。
こんなことになると思ってはいなかっただろうし。

たぶん、あの瞬間、高橋君は、芳美ちゃんの気持ちを理解したんだ。
芳美ちゃんが、身を引き、わたしと高橋君の間を取り持とうとしているとを。
だから、わたしが、酷いことを言ったのに、黙っていた。
いや、違うかもしれない。
わたしの剣幕など、目に入っていなかったのかもしれない。
その時には、もう、芳美ちゃんのことで、頭がいっぱいだったのかもしれない。

もし、そうであったら、わたしは、いったいなんだったのだろう。
ただ、訳もわからず、舞台に乗せられて、巻き込まれただけで。
主役たちの思いは、わたしの関係ないところで揺れ動いて。

ただ、高橋君にひどいことを言った。
苦い思いだけが、わたしの中に残っている。

なんか理不尽だ。


「ねえ、エリ、落ち込んでいる?」
ユカが聞いてくる。
落ち込んでなんかいないよ。
その理由もない。
ただ、今日は、いつもより、騒がしい一日だった、というだけだ。


わたしたちは、サンセット・ビーチがあった浜辺に来ていた。
結局、最後はここに戻って来る。

あのね、わたしたちと芳美ちゃんが、学食を出たとき、高橋君が来たんだ。
冬が近いのに、顔からいっぱい汗を滴らせて。
わたしたちを見つけ……違うね……芳美ちゃんを見つけてホッと息をついたの。

そして、高橋君は、真っ直ぐに芳美ちゃんの所に行ったんだ。
「俺が、はっきりしないから、余計な心配かけて、ゴメンな」だって。
バカらしくなって、わたしたちは、その場から、離れたんだ。


「ねぇ、明日、高橋君のバンドの練習を見に行こうか」
いきなり、ウーが、言い出した。
「バカ、行ってどうすんだよ」
ユカが、反対する。
「なにもしないよ。練習を見るだけ」
「だから、そんなことして、何の意味があるのよ」
「別に意味なんてないよ。んー、強いて言えば、エリが高橋君に、結構、ひどい言い方したからね。行ってチャラしてもらう」

なるほど、と思った。
チャラになるかはともかく、高橋君と話しづらくなるのは嫌だな、と思っていたんだ。

ユカも、そのアイデアには、共感したらしい。「よし、押しかけてやるか」と調子よく言った。

まぁ、悪いアイデアじゃあない、って気がする。
なにより、今日のウーは、冴えている。
乗っておいて、損はないだろう。

「でも、ユカとウーは、アルバイトじゃないの?」
「行くなら、わたしは、今からドルチェに顔を出して、悠子さんにお願いして来るよ」
ウーは、即答する。
「じゃあ、わたしも、久しぶりにドルチェに行こうかな」
わたしは、夏休みに何度も通った店に行きたくなった。
「あ、ズルイ。じゃあ、わたしも行く」とユカも手を挙げる。
「で、ユカは、自分のバイト休めるの?」
「うん。ちょうど、明日は、お店の都合でお休み」
「ホント?」
「勤労感謝の日にお手伝いをしたから、その分休んでいいの」
「ふーん」
「ホントだって」


「ねぇ、ねぇ、どこで練習してんのさ」
ユカは、今日も騒がしい。
「知らないよぉ。近くまで、行けば音がするでしょ」
わたしは、そう答えたが、見つからなくてもいいかな、という気持ちが、少しある。

ウーのアイデアを聞いたときは、名案だと思ったが、いざ来てみると、足が進まない。
進まないのは、足じゃなくて、気持ちの方か。

「ほら、音がするよ」
ウーに促されて、わたしたちは階段を昇る。
どうも、今回は、ウーが主導権を握っている。

階段を昇ると、ドラムの音が、大きくなってきた。
練習場には行ったけど、すれ違いになった、という言い訳もできなくなったようだ。
いや、まだ、他のバンドが練習している、という可能性が残されている。
どうも、往生際が、悪いな。

廊下に出て角を曲がると、そこに芳美ちゃんがいた。
「あれ、エリさんたち、どうしたんですか」
「いや……」
「あ、中にどうぞ。タッキーもいるから」
そう言って芳美ちゃんがドアを開けると、ユカは、さっさと、中に入ってしまう。
演奏が止まり、静寂か訪れた。

中に入ると、高橋君がこちらを見ている。
いや、バンドの全員がこちらを見ていた。

どう切り出そうか、迷っていたら、先にユカが「高橋君、練習見に来たよ」と言った。
友達と話すように。
高橋君は、『ああ』と言って頷いた。

「初麦じゃん」ベースの男の子が、声を掛けてきた。「なんだよいきなり」
「別に。高橋君とエリが、席、近くてさ、今度、練習、見に来いよってことになって。で、ひとりじゃ、行きにくいってんで、ついて来てあげたってわけ」
「よくわかんねぇな」
「ま、ようするに練習を見に来たよ、ってこと」

わたしは、高橋君の顔を見た。
どうやって、謝ろう。
ただ、きついこと言ってゴメン、でいいのかな。
言い訳をしようとするから、素直に謝れないんだよな。

迷っていたら、先に高橋君が、口を開いた。
「エリちゃん」高橋君は、照れ臭そうに頭を掻く「このあいだは、コイツの勘違いで、怒らせちゃってゴメンな」
あ、なんか、先に謝られちゃった。
「うんん、わたしこそ、いきなり、ヒドイこと言ったんじゃないかな、と思って。ゴメンなさい」
考えるより先に言葉が出た。
言葉が出た分、胃のあたりが、軽くなった。
なんだ、迷うことは、なかった。
こんなことも判らないなんてね。

 

終章 雪が降る前に


フェーズ2の演奏は、お世辞にもうまいとは言えなかった。
「取り敢えず、音量を絞って。お互いの音を聞いて。3人で徒競走をしているわけじゃないんだから」
ウーの指摘は、的を射ていた、と思う。
この一言を残して、わたしたちは練習から逃げ出した。


そして、例によって、わたしたちは、腰越の砂浜にいる。
「まだ、耳がキンキンしてるよ」とユカ。

「なんか、無意味に疲れた」
わたしのつぶやきに、ウーが「その無意味に疲れたのに付き合ってる人もいるんだけどね」と答える。
「そうだ、そうだ、お詫びに何か、ご馳走様しなさい」
いつもなら、ここで、『なにおー』とか言って、ユカと追いかけっこなんだけど……。

「ん、いいよ。たまにはオゴッたげる。ケンタッキー、1本ずつね」
今回は、この2人がいなかったら、もっと、ややこしいことになっていた。
そう思ったら、なんとなく、おごってもいいかなんて気になったんだけどね。。。
「えー、胸と足1本ずつでしょ普通」
ユカの一言で、前言を撤回したくなった。

「私は、ドルチェに行くから、ケンタはパスでいいや」
ウーはそう言うと、立ち上がってお尻の砂を払い落とす。
ああ、ウーはなんて、優しくて、まじめなんだろう、と思ったら、「月曜日にご馳走になってあげるねぇー」という言葉を残して、自転車で走り去った。
こっちも、前言撤回だ。

まぁ、いいや。
「よし、ケンタに行こう」
ユカに声を掛ける。
「うん。まぁ、今日は、1本でカンベンしてあげようか」
そう言って、ユカは、微笑んだ。

ユカとウーがいなかったら、わたしは、今回の事件をどう受け取ったのだろう。
高橋君を、自惚れた男の子と思い込んだまま、話をしなくなったんだろうか。
芳美ちゃんを、お節介な女の子と思い、遠ざけてしまっただろうか。

ウーとユカが物影から見ていてくれる、という安心感があったから、わたしは、屋上で、芳美ちゃんの話を聞くことができた。
例え、ついて来た理由が、ユカのやじ馬根性だったとしても。

ふたりが、一緒じゃなければ、今日、バンドの練習を見に行きはしなかっただろう。

そうしたら、月曜日も火曜日も、高橋君とは、気まずいままだったかもしれない。


うん。今日は、ふたりに感謝しよう。
やっぱり、大切な友達だ。

さて、明日は、日曜日。
どうやって過ごそうか。
ウーもユカも、アルバイトだ。

わたしも、何かを始めよう。
部屋にこもっていても、何も始まらない。

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