小さな呪文
日曜日。
昨日からの雨は止みそうもない。
ちょっと寝坊した朝なのに、外はまだ薄暗くて、雨粒が屋根を叩く音が、優しいリズムで眠りに誘うように、トントン、トントンって、鳴り続いている。
そして……私の隣には、あなたの小さな寝息。
スースーって……。
とっても素敵な音に包まれて、私は小さくあなたに語りかける……。
☆
私、雨の降る日も嫌いじゃないよ。
あなたが教えてくれた呪文のおかげかな。
「デリキリタフウ……」
……あなたと一緒じゃないと、効果がない呪文なんだよね。
背中を向けて、何か書いているから、なにしてんだろ?って、不思議に思ったんだけどさ。
その後に飛び出した素敵な呪文。
☆
甘えん坊で、わがままで、プライドが高くて、気分屋さんで、ちょっとエッチで……
あなたみたいな人、私が好きにならなくちゃ、他の誰が好きになるんだろう、って。
だからね、私だけは、あなたを大切にしなくちゃ、って思ってるんだ。
☆
週末だけ一緒に過ごす生活で、ふたりでいる時間が、どうしても少ないでしょ……。
だから、金曜日の夜は、誰よりも早く会社を出て、あなたの部屋まで急ぐんだよ。
あなたが送ってくれた新幹線のチケットを握り締めて、あなたの住む街まで、もっと、もっと早く着きたい、って思いながら、流れる景色を見ているんだよ。
あ、この話をしたこと、あったかな?
ほら、私が乗る新幹線、毎週、同じでしょ。東京駅18時52分発のMaxとき343号。
新潟に着くのは21時6分。
毎週2時間14分の長旅をしているんだからね。
……ま、いいや。その新幹線でね、いつも、一緒になるおじさんがいるんだ。
単身赴任だって、言ってたな。
いつも、一緒になる私のこと、気になっていたんだって。
でさ、この間、『お嬢さんは、いつも、この新幹線に乗っているんですね』って、声を掛けてきたんだ。
最初は、『ゲッ、おじさんにナンパされたぁ??』って思ったんだけど、それがさ、すっごく面白いおじさんで、会社のこととか、家のこととか、色々話してくれたの。
せっかく、一所懸命に帰っても、家族は誰も相手にしてくれないんだって。
おまけに、猫まで、おじさんの顔をみると逃げちゃうって……そんな話を聞いたら、普通、暗い気持ちになるでしょ。それがさぁ、すっごく、面白おかしく話すんだよねぇ?。
そうそう、そのおじさん、私が、毎週末、あなたの所に通ってるって言ったら、けしからんだって。
そんなのは、男が通うべきだ、って。
シンデレラ・エクスプレスだって、女の子がホームで見送るから絵になるんで、男がホームに残されるなんてカッコ悪いってさ。
いっぱい、笑ったから、涙出ちゃったよ……。
私が、電車を降りるとき、おじさん、『頑張れよ』って言ってくれたんだ……。
私は、グッって、力こぶを作って、『頑張る』って答えたよ。
そう、頑張って、あなたの晩御飯を作るんだ……。
あなたの部屋に着くのは10時近くになってしまうのに、いつも、食事も取らないで、私が着くのを待っていてくれるよね。
あなたから『今夜は残業あり』って連絡があると、たくさん買い物をしていくんだ。
じっくり、料理できるチャンスって、少ないからね。
いろんなものをたくさん作って、早くあなたを私の味に慣らさなくっちゃね。
☆
でもさ、私、どうして、あなたにこんなに尽くしているんだろ、って思ったりもするのよねぇ。
だって、あなたは、私の料理に『おいしい』って、言ってくれたことないでしょ。
料理の腕は、人気レストラン、ドルチェ仕込みので、本格派なんだからね。
なのにさ、いっくら頑張って作っても、あなたは、何も言わずに一気に食べちゃってさ。食べ終わったら、『ふー』とか言って。
しばらくしたら、ウトウトって……。
あ~っ、思い出したら、腹が立ってきた。
なにさまよぉ。
そうそう、この前だって、ワインを買って、後でゆっくり飲もうね、って言ったのにさ。
あなたったら、一口飲んだら、もう、ウトウトし始めちゃってさ……。
『ちゃんと着替えて寝ないと風邪ひくよ』って言ったのに……。
あのときは、大変だったんだから。
ベッドに連れて行こうとしたって、動かないしさ……重かったんだよ。
それにさ……『私、酔っちゃったぁ~』って、甘えることも、できなかったじゃないか……。
ほーんと、あなたには、私が、いなくちゃ、ダメなんだよねぇ。
☆
あ~あ、よく、寝てる。
でもね、今日は、雨だから、このまま寝ていていいよ。
ぐっすり寝ているあなたを見るのって、すごく嬉しいから。
出会った頃のあなたは、うなされることもあったし。
それどころか、心配しちゃうくらい眠ることができずにいたもんね。
『夜、寝ることが、一番、辛いんだ』って聞かされたときは、本当に驚いたよ。
私なんか、ベットに横になったら、すぐに寝ちゃうもん。
『昼間、ずっと難しいこと考えているからだね』って言ったら、苦笑いしてたよね。
☆
そうそう、あなたが、この間、あなたがテレビに出た時、私さ、一所懸命、見ていたんだよ。
なんか難しそうな……ううん、難しいんだよね。
うん、えっとねぇ……流体力学のモデルが、なんとかで……。で、そのシュミレーションが、なんとかで……。
気がついたら、テレビが砂嵐になってたよぉ。
あなたの声が子守唄になったみたい。
☆
仕事で、とっても難しい研究をしていても、あなたは、週末を私のために確保してくれるんだよね。
天気がいいと、あなたは、私を色々なところへ連れて行ってくれるでしょ。
公園に行くのが、あんなに楽しいなんて、知らなかったよ。
フリスビーを追いかけたりしてさ。
20歳過ぎて、公園で走り回るなんて、思いもしなかったもん。
☆
だから……さ。
私は、雨が降っている日は、大好きだよ。
あなたにゆっくりとして欲しいから。
それに、何よりも、今は、あなたが、教えてくれた呪文が、効いているんだ。
「デリキリ タフウソ ゴスニカ ズシ」
これは、雨の日を優しい気持ちで、過ごすための呪文だよね。
私が入れた紅茶を飲んで、子供の頃に見ていた夢や、大好きだったおとぎ話、遊園地に行った思い出話をして……。
あなたの話は、いつも、面白おかしくて、何が本当で、何が冗談なのか、わからないときもあるけど……。
ふたりで、たくさん、話ができるから、雨の日は大好きだよ。
☆
昨日から、降り続いているのに、雨は止みそうにないね。
でも、今日からは、今までより、もっと、もっと、雨が好きになりそうだよ。
だって、雨が降っていなかったら、あなたは、二つ目の呪文を唱えてくれなかったかもしれない。
「ルスニツ セイタウ ヨシン コツケ」
何のお呪いなの、って聞いても、あなたは教えてくれなった。
教えて、教えて、ってせがんだら、あなたは……キスをしてきて……。
☆
あなたは、まだ、小さな寝息を立てている。
ベッドサイドのテーブルには、あなたの書いたメモが1枚、クシャクシャに丸まっている。
私は、メモに手を伸ばし、そっと胸にあててみる。
「ルスニツ セイタウ ヨシン コツケ」
このメモは、私の一番の宝物。
あなたのメモには、カタカナで「ケッコン シヨウ タイセツニ スル」って……書いてある。
「結婚しよう大切にする」
逆さから読むと「ルスニツ セイタウ ヨシン コツケ」。
最初の呪文「デリキ リタフ ウソゴス ニカズシ」は、「静かに過ごそう二人きりで」って意味だったんだね。
こんな単純な呪文なのに……。
私は、もう、この呪文に掛かっているよ。
「ルスニツ セイタウ ヨシン コツケ」
早くあなたに、よろしくお願いします、って伝えたいな。
ねぇ、ずっと、ずっと、大切にしてね……。
あ~あ、やっぱり、早く起きないかなぁ~。
私の呪い師さん。