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小さな呪文

日曜日。
昨日からの雨は止みそうもない。

ちょっと寝坊した朝なのに、外はまだ薄暗くて、雨粒が屋根を叩く音が、優しいリズムで眠りに誘うように、トントン、トントンって、鳴り続いている。

そして……私の隣には、あなたの小さな寝息。
スースーって……。

とっても素敵な音に包まれて、私は小さくあなたに語りかける……。


私、雨の降る日も嫌いじゃないよ。

あなたが教えてくれた呪文のおかげかな。
「デリキリタフウ……」
……あなたと一緒じゃないと、効果がない呪文なんだよね。

背中を向けて、何か書いているから、なにしてんだろ?って、不思議に思ったんだけどさ。
その後に飛び出した素敵な呪文。


甘えん坊で、わがままで、プライドが高くて、気分屋さんで、ちょっとエッチで……
あなたみたいな人、私が好きにならなくちゃ、他の誰が好きになるんだろう、って。
だからね、私だけは、あなたを大切にしなくちゃ、って思ってるんだ。


週末だけ一緒に過ごす生活で、ふたりでいる時間が、どうしても少ないでしょ……。
だから、金曜日の夜は、誰よりも早く会社を出て、あなたの部屋まで急ぐんだよ。
あなたが送ってくれた新幹線のチケットを握り締めて、あなたの住む街まで、もっと、もっと早く着きたい、って思いながら、流れる景色を見ているんだよ。

あ、この話をしたこと、あったかな?


ほら、私が乗る新幹線、毎週、同じでしょ。東京駅18時52分発のMaxとき343号。
新潟に着くのは21時6分。
毎週2時間14分の長旅をしているんだからね。

……ま、いいや。その新幹線でね、いつも、一緒になるおじさんがいるんだ。
単身赴任だって、言ってたな。
いつも、一緒になる私のこと、気になっていたんだって。
でさ、この間、『お嬢さんは、いつも、この新幹線に乗っているんですね』って、声を掛けてきたんだ。

最初は、『ゲッ、おじさんにナンパされたぁ??』って思ったんだけど、それがさ、すっごく面白いおじさんで、会社のこととか、家のこととか、色々話してくれたの。

せっかく、一所懸命に帰っても、家族は誰も相手にしてくれないんだって。
おまけに、猫まで、おじさんの顔をみると逃げちゃうって……そんな話を聞いたら、普通、暗い気持ちになるでしょ。それがさぁ、すっごく、面白おかしく話すんだよねぇ?。


そうそう、そのおじさん、私が、毎週末、あなたの所に通ってるって言ったら、けしからんだって。
そんなのは、男が通うべきだ、って。
シンデレラ・エクスプレスだって、女の子がホームで見送るから絵になるんで、男がホームに残されるなんてカッコ悪いってさ。


いっぱい、笑ったから、涙出ちゃったよ……。
私が、電車を降りるとき、おじさん、『頑張れよ』って言ってくれたんだ……。

私は、グッって、力こぶを作って、『頑張る』って答えたよ。
そう、頑張って、あなたの晩御飯を作るんだ……。


あなたの部屋に着くのは10時近くになってしまうのに、いつも、食事も取らないで、私が着くのを待っていてくれるよね。

あなたから『今夜は残業あり』って連絡があると、たくさん買い物をしていくんだ。
じっくり、料理できるチャンスって、少ないからね。
いろんなものをたくさん作って、早くあなたを私の味に慣らさなくっちゃね。


でもさ、私、どうして、あなたにこんなに尽くしているんだろ、って思ったりもするのよねぇ。

だって、あなたは、私の料理に『おいしい』って、言ってくれたことないでしょ。

料理の腕は、人気レストラン、ドルチェ仕込みので、本格派なんだからね。
なのにさ、いっくら頑張って作っても、あなたは、何も言わずに一気に食べちゃってさ。食べ終わったら、『ふー』とか言って。
しばらくしたら、ウトウトって……。

あ~っ、思い出したら、腹が立ってきた。
なにさまよぉ。

そうそう、この前だって、ワインを買って、後でゆっくり飲もうね、って言ったのにさ。
あなたったら、一口飲んだら、もう、ウトウトし始めちゃってさ……。

『ちゃんと着替えて寝ないと風邪ひくよ』って言ったのに……。
あのときは、大変だったんだから。

ベッドに連れて行こうとしたって、動かないしさ……重かったんだよ。
それにさ……『私、酔っちゃったぁ~』って、甘えることも、できなかったじゃないか……。
ほーんと、あなたには、私が、いなくちゃ、ダメなんだよねぇ。


あ~あ、よく、寝てる。
でもね、今日は、雨だから、このまま寝ていていいよ。
ぐっすり寝ているあなたを見るのって、すごく嬉しいから。

出会った頃のあなたは、うなされることもあったし。
それどころか、心配しちゃうくらい眠ることができずにいたもんね。
『夜、寝ることが、一番、辛いんだ』って聞かされたときは、本当に驚いたよ。
私なんか、ベットに横になったら、すぐに寝ちゃうもん。
『昼間、ずっと難しいこと考えているからだね』って言ったら、苦笑いしてたよね。


そうそう、あなたが、この間、あなたがテレビに出た時、私さ、一所懸命、見ていたんだよ。
なんか難しそうな……ううん、難しいんだよね。

うん、えっとねぇ……流体力学のモデルが、なんとかで……。で、そのシュミレーションが、なんとかで……。

気がついたら、テレビが砂嵐になってたよぉ。
あなたの声が子守唄になったみたい。


仕事で、とっても難しい研究をしていても、あなたは、週末を私のために確保してくれるんだよね。
天気がいいと、あなたは、私を色々なところへ連れて行ってくれるでしょ。
公園に行くのが、あんなに楽しいなんて、知らなかったよ。
フリスビーを追いかけたりしてさ。
20歳過ぎて、公園で走り回るなんて、思いもしなかったもん。


だから……さ。
私は、雨が降っている日は、大好きだよ。
あなたにゆっくりとして欲しいから。

それに、何よりも、今は、あなたが、教えてくれた呪文が、効いているんだ。
「デリキリ タフウソ ゴスニカ ズシ」
これは、雨の日を優しい気持ちで、過ごすための呪文だよね。

私が入れた紅茶を飲んで、子供の頃に見ていた夢や、大好きだったおとぎ話、遊園地に行った思い出話をして……。

あなたの話は、いつも、面白おかしくて、何が本当で、何が冗談なのか、わからないときもあるけど……。
ふたりで、たくさん、話ができるから、雨の日は大好きだよ。


昨日から、降り続いているのに、雨は止みそうにないね。
でも、今日からは、今までより、もっと、もっと、雨が好きになりそうだよ。
だって、雨が降っていなかったら、あなたは、二つ目の呪文を唱えてくれなかったかもしれない。

「ルスニツ セイタウ ヨシン コツケ」
何のお呪いなの、って聞いても、あなたは教えてくれなった。
教えて、教えて、ってせがんだら、あなたは……キスをしてきて……。


あなたは、まだ、小さな寝息を立てている。

ベッドサイドのテーブルには、あなたの書いたメモが1枚、クシャクシャに丸まっている。

私は、メモに手を伸ばし、そっと胸にあててみる。
「ルスニツ セイタウ ヨシン コツケ」

このメモは、私の一番の宝物。


あなたのメモには、カタカナで「ケッコン シヨウ タイセツニ スル」って……書いてある。
「結婚しよう大切にする」
逆さから読むと「ルスニツ セイタウ ヨシン コツケ」。

最初の呪文「デリキ リタフ ウソゴス ニカズシ」は、「静かに過ごそう二人きりで」って意味だったんだね。


こんな単純な呪文なのに……。
私は、もう、この呪文に掛かっているよ。

「ルスニツ セイタウ ヨシン コツケ」

早くあなたに、よろしくお願いします、って伝えたいな。

ねぇ、ずっと、ずっと、大切にしてね……。

あ~あ、やっぱり、早く起きないかなぁ~。

私の呪い師さん。

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